FC2ブログ

trueno mobile blog

卜(ぼく)がいま興味あることを書いてます。truenoとはスペイン語で“雷鳴”という意味です。

顔が汚れて力が出ないよ

Category: 日記・エッセイ・コラム  
あちこちで『被災地にいない人間が落ち込む必要はない』とか『通常に生活する事が出来る地域は通常の生活をするべき』とか『経済活動が停滞すれば復興も遅れる』と言われていますよね。『支える側に元気がなかったら支えられない』とも。

それはもっともなのですが、普通の生活ができている人からそれを言われるのは、時に怒りが湧くこともあります。また、自粛とか謹慎という言葉を、心が折れているとか落ち込んでいると同義のように扱われているのを見ることにも、違和感を覚えます。

津波の被害を受けていない内陸部でも燃料が手に入らないために町まで行かれずに物資欠乏のまま孤立している地域もあるとか。また、家屋倒壊やライフラインの切断など、実態は被災地といってもよい状況でありながら「被災地」とされず、救援物資も人も届かない「忘れられている地域」もあるとか。

被災地に居ても「家が倒れず(流されず)に残った」という理由で避難所に入れてもらえず、救援物資を貰うことができない被災者もいるそうです。

いったい、支える側と支えられる側の線引きは、どこでするのでしょう?今回の地震ではどこからどこまでが被災地なんでしょう?行政上の区分けのように、あるいは家を失ったとか親族を亡くしたとか、一定の条件で線が引けるものなんでしょうか?

「被災者は筆舌に尽くせない苦労をしているのだから、それよりも良い境遇にある人が少しぐらいの不便で愚痴をこぼすのはどうか?」「被災地の不便を思えばそれくらい」などということは、仮に自分に言い聞かせることはあったとしても他人から言われるようなことではないと卜は思うのです。他人に「不謹慎だ」とか「自粛すべきだ」などと意見するのが筋違いであるのと同じように。

あなたの気持ちに余裕があればあなたのできる範囲で支える側に回るなりなんなり、あなたのしたいようにすればいい。しかし、私をあなたと同じグループにいるかのように言わないで欲しい、ってことです。そういう、自分の意識の中で「線引き」をしている人には、そこへ入れるべきではない人を入れてしまっていることに気づかないでいる場合も少なくないように感じます。そういう意識が「忘れられた被災地」や「心の被災地」を生む要因にもなっているのではないかな、と。

卜(ぼく)自身にも、今回の地震がまるでなかったことのように進んでいく東京の時間や世の中の動きについていかれる体力があればいいんですけどね・・・。
スポンサーサイト




Newer Entry2ちゃん交通情報板・首都圏鉄道運行障害情報スレより

Older Entry久しぶりに滑った

Comments



« »

09 2019
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
プロフィール

trueno

Author:trueno
運動音痴の中年オヤジ。 娘がサンタさんからインラインスケートのブーツをもらったので、自分も付き合いで始めたら、娘以上にハマる。おもに光が丘公園に出没。sk8以外ではルーメソと立飲みを愛好。ベース弾き。13期。

お知らせ
月別アーカイブ
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
SNS